慰霊の日のシリーズ企画「平和のはざまで」。このほど発刊された「恩納村史」この厚みに、体験者の証言や日本軍資料に基づく史実が記されています。
こうした地域史の編さんをリードしてきたのが吉浜忍さんです。
体験者が減少するなか、地域史の編さんや沖縄戦研究そのものも、岐路に立たされていますー

沖縄戦研究者の吉浜忍さん。地域によって異なる戦争の実相=地域史を長年研究してきた第一人者です。

沖縄戦研究者 吉浜忍さん
「沖縄全体の戦争というのは、北は国頭から南は与那国まで、そういう意味では市町村史の役割はとても大きい。ある意味では最後の集大成として恩納村史はあるんだな」

このたび、編さんに携わった恩納村の地域史の発刊イベントに登壇し「最後」という言葉を強調して言いました。


吉浜忍さん
「もう本当に(体験者の)聞き取りが厳しくなっている時代です。行政が聞き取った最後の(地域史)じゃないかな。この本に収録されている証言はもうこんなことはもう行政ではもうできないんじゃないかと思うわけです」

「証言を掘り起こして、地域史を編むのは、これで最後」その言葉は、吉浜さん自身の活動も集大成を迎えようとしていることを意味していました。

恩納村史沖縄戦の一文
「遺体をたくさん見ましたよ。病院じゃなくてね、恩納岳からちょっと瀬良垣の間の方で…」「アメリカ―がくるよー」

ひとりひとりの体験を丁寧に綴ってきた地域史。自宅にはこれまで手掛けたものや県史が並んでいます。

吉浜忍さん
「自ら足を運んで掘り起こしてしか地域のことはわからない。本当にそれを知りたい、沖縄戦って何だろうというのを掴みたい。つまり全体の沖縄戦だけじゃなくて地域で何が起こったのかきちっと押さえたい」

編さんのまとめ役として携わった市町村史は11冊。このほか執筆で関わったものも数多くあります。


活動の原点は1980年代。南風原高校で社会科の教諭をしていた頃に生徒とともに地元の証言を本にまとめました。

吉浜忍さん
「高校生にとって地域の戦争を教えたらものすごく効果的で、リアルに反応するわけです。生徒たちがとても目を輝かせているのをみたら、もう苦労は吹っ飛びますね」

沖縄国際大学で教えるようになってからは、全学科・全学年が選択できる共通科目に「沖縄戦」を創設。定員を大幅に上回る受講希望者が殺到しました。


吉浜さんが1997年に地元紙に寄稿した文章に「沖縄戦継承が21世紀の課題となってくる」という一文があります。

沖縄戦の継承という難題に、当時から危機感を抱いていた吉浜さんが力を注いできたのが、自分のあとを担う若い研究者の育成です。吉浜さんが中心となって立ち上げた沖縄戦若手研究会には、大学職員や資料館の学芸員ら、沖縄戦の研究や継承につとめる若い世代が集まりました。

2019年には彼らが執筆した「沖縄戦を知る事典」を発刊。若手の台頭を、ひとつのカタチとして示しました。

瀬戸隆博 恩納村史編さん係
「沖縄戦をこれほど細かく地域の目線で現場に入って調べて研究し、研究の域から普及や社会教育の面で地域に貢献された先生、本当にすごいことだと思うとても尊敬しています」

やんばるの沖縄戦に詳しい川満彰さんも、吉浜さんの薫陶を受けたひとりです。

川満彰 沖縄近現代史研究者
「そこにいた住民がどういう思いで沖縄戦に携わり、多くの人たちが犠牲になったのか、私たち新たな沖縄戦研究者にとってですね、きちんとその視点は忘れずに、進むべきもんだろうなということは、吉浜先生から学んでますね」

ほかにも、吉浜さんの元で学んだたくさんの研究者が、編さんや学問の分野で、確かな歩みを進めています。


吉浜さん
「これでだいたい私の任務は終わりだな」
Q最後の仕事ですか?
「そうと思っているよ、何かまたきたらやらざるを得ないけれも、体力の限界も感じてくるし」

地域史をやり切った今が「ひとつの区切り」と話した吉浜さん。これからは地域史を活用してほしいと強く願っています。

吉浜さん
「県史を始め市町村史にたくさん携わってきましたけど、何度でもいいますけど、「発刊は始まり」ですよ。買った人は枕にしているんじゃないかと、枕にしてはダメですよ。これは生きたものにしないといけない」

地道な聞き取りと研究の積み重ねで編まれた数々の地域史。ぶ厚いページに、継承への願いが込められています。




【記者MEMO】
体験者がいなくなった時、地域史を編むことはもうできない。近い将来そうなったとき、今ある地域史をどのように生かすか、学校現場などでの活用が課題となっている。吉浜さんが携わった沖縄戦関係の書籍では今後、八重瀬町史や県史ビジュアル版の発刊が予定されています。