1945年(昭和20年)終戦間近の鳥取県大山町で山陰線を走る列車が米軍機の機銃掃射を受け、乗客ら45人以上が亡くなった大山口列車空襲から28日で77年。
JR大山口駅そばにある慰霊碑の前では遺族や地元の人たち、学校で列車空襲のことを学んだ小学生などおよそ30人が黙とうを捧げ、献花を行いました。
今年は、新型コロナ感染拡大のため、法要などは見送られましたが、参加者らは戦争が生んだ悲劇を語り継ぐ大切さを改めて胸に刻んでいました。
1945年(昭和20年)終戦間近の鳥取県大山町で山陰線を走る列車が米軍機の機銃掃射を受け、乗客ら45人以上が亡くなった大山口列車空襲から28日で77年。
JR大山口駅そばにある慰霊碑の前では遺族や地元の人たち、学校で列車空襲のことを学んだ小学生などおよそ30人が黙とうを捧げ、献花を行いました。
今年は、新型コロナ感染拡大のため、法要などは見送られましたが、参加者らは戦争が生んだ悲劇を語り継ぐ大切さを改めて胸に刻んでいました。